1949年度の将棋界(1949ねんどのしょうぎかい)では、1949年(昭和24年)4月から1950年(昭和25年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。
できごと
1949年4月
- 8日 - 第8期名人戦五番勝負第2局が行われ、木村義雄前名人が勝利(塚田正夫名人 1-1 木村義雄前名人)。
- 20日 - 第8期名人戦五番勝負第3局が行われ、塚田正夫名人が勝利(塚田正夫名人 2-1 木村義雄前名人)。
1949年5月
- 11日 - 第8期名人戦五番勝負第4局が行われ、木村義雄前名人が勝利(塚田正夫名人 2-2 木村義雄前名人)。
- 24日 - 第8期名人戦五番勝負第5局が行われ、木村義雄前名人が勝利し名人を奪取。3期ぶり通算6期の名人となる(塚田正夫名人 2-3 木村義雄前名人)。
1949年6月
- 15・16日 - 第2回全日本選手権戦の対局前夜の食事会で、升田幸三八段が木村義雄名人と口論となり、名人位に関する「ゴミハエ問答」に発展。翌日の対局は升田が勝利。
1949年7月
- 26日 - 東京都中野区に将棋会館が建設される。
1949年8月
- 27日 - 毎日新聞との第9期名人戦の契約が決裂。新たに朝日新聞と契約。5期以上名人を保持した棋士に「永世名人」の称号を贈ることに決定。
- 31日 - 全日本選手権戦がタイトル戦に昇格。九段戦として発足する。
1949年10月
- 6日 - 萩原淳八段が第2回全日本選手権戦で優勝。
1950年1月
- 25日 - 第9期名人戦の挑戦者決定戦1回戦が行われ、丸田祐三八段が高柳敏夫八段に勝利。
- 29日 - 第9期名人戦の挑戦者決定戦2回戦が行われ、升田幸三八段が丸田祐三八段に勝利。
1950年2月
- 12日 - 第9期名人戦の挑戦者決定戦決勝三番勝負第1局が行われ、大山康晴八段が先勝(大山康晴八段 1-0 升田幸三八段)。
- 19日 - 第9期名人戦の挑戦者決定戦決勝三番勝負第2局が行われ、大山康晴八段が勝利(大山康晴八段 2-0 升田幸三八段)。木村義雄名人への挑戦権を獲得。
1950年3月
- 21・22日 - 第9期名人戦七番勝負第1局が行われ、木村義雄名人が先勝(木村義雄名人 1-0 大山康晴八段)。
記録
タイトル戦
その他の棋戦
順位戦
第4期順位戦 (1949年6月 - 1950年3月)
昇段・引退
脚注
参考文献
- 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年。
- 升田幸三『升田幸三名局集』マイナビ、2012年12月13日。ISBN 978-4-8399-4544-2。
- 加藤治郎、原田泰夫、田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0。




